夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡した。派手なパフォーマンスで二科展の宣伝に尽力し、「二科会のドン」と呼ばれた。
1897年 鹿児島市に生まれる。
1921年 フランスに留学、リヨン美術学校に学ぶ。
未来派のマリネッティをトリノに訪ね、未来派運動に参加。
1928年 帰国し、二科展に23点を特別陳列する。
1930年 ジャン・コクトーの「怖るべき子供たち」を翻訳、白水社より刊行。
1931年 二科会の会員となる。
1938年 二科会に「九室会」が結成され、藤田嗣治と共に顧問になる。
1945年 終戦後の二科会再建に尽力。
1948年 東京歌舞伎座の緞帳「女の四季」を手掛ける。
1960年 日本芸術院入会。
1976年 東郷青児美術館開設。勲二等旭日重光章受章。
フランス政府より文化勲章受章。
1978年 死去。文化功労者、正四位追贈。