1905年 石川県小松市松崎町に生まれる。
1922年 上京し川端画学校に在籍。富永勝重、藤島武二に師事。
1927年 第14回二科展に初入選。以降、昭和19年まで毎年出品。
1938年 渡欧。パリを中心に滞在。ルーヴル美術館で摸写をするほか、スイス、イギリスなどを巡り、各地の美術館を見学し、翌年に帰国。
1942年 戦争記録画制作のため、藤田嗣治、小磯良平らとともにマレー半島、タイ、シンガポールなどに渡る。「山下、パーシバル両司令官会見図」を完成させる。
1943年 翌年同作で第2回帝国芸術院賞を受ける。
1947年 熊谷守一、田村孝之助、正宗得三郎らと二紀会を設立。以降、亡くなるまで出品を続ける。
1948年 金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)の教授に就任する(昭和25年まで)。
1952年 渡欧。スペイン、イタリア、ギリシャなど巡遊する。翌年帰国。
1953年 多摩美術大学教授に就任。
1958年 日本美術家連盟理事長に就任。
1959年 日本美術家連盟の会館建築に際し、建設委員長に就任。昭和37年に会館は完成。
1966年 日本芸術院会員となる。
1967年 二紀会が社団法人となり、理事長に就任。
1971年 国立西洋美術館評議会評議員に就任。
1973年 文化庁芸術専門調査会委員に就任。
1974年 10月13日、腸閉塞による心臓衰弱のため逝去。享年69歳。