1922年 5月5日福島県二本松に生まれる。 家業は紺屋で父も趣味で日本画を描いていたという環境で、自然に画家を志すようになる。
1940年 東京美術学校日本画科入学。
1946年 復員、第2回日展に「O先生」が初入選。
1947年 山口蓬春に師事。
1952年 第8回日展で「池畔に立つ」が特選・白寿賞・朝倉賞を受賞。
1955年 第11回日展で「海浜」が特選・白寿賞を受賞。
1968年 第11回新日展で「岡潔先生像」(福島県教育委員会蔵)が文部大臣賞を受賞。
1973年 「五百羅漢」(日本芸術院蔵)により日本芸術院賞を受賞。
1977年 銀座松屋で日本経済新聞社主催<大山忠作-今日と明日>展
1981年 銀座松屋で<大山忠作・日月春秋>展
1986年 日本芸術院会員となる。
1991年 日展事務局長を務める。
1992~95年 日展理事長を務める。
1994年 初の書作展(銀座和光ホール)を開催。
2006年 文化功労賞受賞。文化勲章受章
2009年 逝去。
描写技術の高さは定評があり、描きたいものを描くという姿勢から、人物画、宗教的作品、花鳥、風景と題材も多岐にわたり、それぞれに一定の水準を保って画家としてのスケールの大きさとさらなる可能性を示す。又、鯉を得意とし、美術市場での人気は高い。代表的な仕事のひとつに成田山新勝寺光輪閣襖絵(1980・84・92年)が挙げられる。作品集に「大山忠作画集」(1982年・講談社)、「大山忠作画集」(1994年・朝日新聞社)がある。