1928年 フランス、ラングレに生まれる。パリ国立美術学校に入学。カシニョールらを育てた、同校主任教授シャブラン・ミディに師事。
1952年 ファルマン賞受賞。
1956年 「デカルトの家」賞(アムステルダム)
1957年 カサ・ベラスケーズ賞受賞(マドリッド)。この年より3年間アムステルダムのデカルト博物館委員、マドリッドのベラスケス博物館委員を歴任。若くして脚光を浴び、次々と有名な賞を獲得。
1960年 パレ・ロワイヤル賞受賞。パリ市銀賞受賞。
1962年 国際的画廊ウォリー・フィンドレーの専属契約画家となる。
1965年 青年画家大賞受賞。サロン・ド・ボザール・グランプリ受賞。サロン・ドートンヌ審査員となる。
1967年 オート・マルン県知事賞受賞。マルトゥ・オラン賞受賞。
1977年 海外県・海外領土省よりレユニオン島賞受賞。フランス芸術家金賞受賞。
1979年 協力省よりフランス・アフリカ協力賞。ボレーヌ、アミリー、ラングレ各市より記念牌受賞。
1980年 モンタルジス市銅賞受賞。サロン・ドートンヌ委員会メンバーとなる。アントラル賞の審査メンバーとなる。
1981年 フランス政府より、レジオン・ドヌール勲章授与。ベルガンドゥ、ベルヌー・ラ・セル各市より記念牌受賞。
1983年 サロン・ドートンヌの事務局長に推薦される。
1984年 農業功労レジオン・ドヌール勲章受賞。国家憲兵隊功労賞受賞。
1985年 アンリ・ゲル賞受賞(ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール)
1986年 パリ市ベルメイユ賞受賞。
1987年 日本にて、世界蘭博覧会の一環として絵画展が開催される。
1988年 ミッシェル・アンリ・ジャポン設立。
画家としてだけではなく社交界においても著名で幅広い文化活動を行い、社交性に富み、日本でも有名な、画家ブラジリエやカシニョールとは、美術学校時代からの友人で、互いに影響しあった仲でもある。その柔らかな人柄も彼の魅力のひとつで、画風にもそれは現れており、一連の芸術家たちの持つ共通の陰湿的、閉鎖的暗さとは対照的に、明るく幻想的な色調、人間味あふれるタッチで多くの花の絵を描いている。作品はレ・ボー・ド・プロヴァンスの美術館、ナンシー美術館ほか多数に収蔵されている。